hodakaの居場所Xoops実験室

切り抜き詳細

発行日時
2017/4/3 6:00
見出し
98番 定家と並ぶ双璧 家隆 風そよぐ
リンクURL
http://100.kuri3.net/archives/1628 98番 定家と並ぶ双璧 家隆 風そよぐへの外部リンク
記事詳細

いよいよラストスリー(上がり3ホール)となりました。定家が明月記に「1天智天皇以来、98家隆・94雅経に及ぶ」と書いた家隆。百人一首撰定時(1235)定家と並び双璧だった家隆(家隆が4才上)。百人一首の配列からもその歌人としての重要性が伝わってきます。

 1番 天智天皇 2番 持統天皇 Vs 99番 後鳥羽天皇 100番 順徳天皇
 3番 山辺赤人 4番 柿本人麻呂 Vs 97番 藤原定家  98番 藤原家隆

98.風そよぐならの小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける

訳詩:     楢の葉に風がそよげば
        このならの小川のあたり
        夕暮はもう秋を思わすすずしさ
        けれどあそこでみそぎをする姿を見れば
        今はまだ夏 六月なのだ

作者:従二位家隆 藤原家隆 1158-1237 80才 藤原光隆の子 壬生二品
出典:新勅撰集 夏192
詞書:「寛喜元年女御入内屏風」

①藤原家隆
・何と27藤原兼輔の末裔。
 兼輔-雅正(紫式部の祖父) 雅正の八代孫にあたるとのこと。
 →それがどうしたって言われそうですが。
 →源氏物語マニアの定家は家隆を羨ましく思ったのかも。

・父は正二位権中納言藤原光隆
 「猫間中納言光隆卿」として平家物語巻八「猫間」に登場。
 田舎者木曾義仲の野人ぶりを嘲笑する段だが、光隆も損な役回りを演じている。
 →平家物語読んだとき、「この人お気の毒だな」と思った。まさか家隆の父君だったとは!

・父も正二位、家隆も晩年ながら従二位に上がってる。まあそこそこの権門。

・最初寂蓮(藤原定長)の娘と結婚、寂蓮の養子になった(との説あり)。
 寂蓮は俊成の養子だった訳で、そんなことで家隆も俊成から歌を学ぶことになる。
 →定家と机を並べて学んだのだろうか?何れにせよバリバリの御子左流ではないか。

 (後、寂蓮の娘とは離れたのか、光隆の子雅隆の娘(即ち姪)を妻室にしている)

・九条家歌壇、後鳥羽院歌壇で活躍後、病を得て79才で出家(出家したのは四天王寺)
 大阪夕陽丘に「夕日庵」を結び、大阪の海に沈む夕日を眺めて晩年を過す。

 契りあれば難波の里にやどりきて浪の入日を拝みつるかな(辞世7首の一つ)
  →天王寺高の近くでしょうか、八麻呂さん。

②歌人としての家隆
・千載集(俊成撰)以下勅撰集に282首。定家撰の新勅撰集は43首で最多。
 私家集に玉吟集(壬二集)

・若くして俊成に師事したが、歌人として頭角を現したのは40才ころから。晩生である。
 →丁度後鳥羽院が歌に熱中しはじめる頃か。後鳥羽院の歌の師も務める(91良経の推薦)

 「家隆卿は、若かりし折はきこえざりしが、建久のころほひより、殊に名誉もいできたりき。歌になりかへりたるさまに、かひがひしく、秀歌ども詠み集めたる多さ、誰にもすぐまさりたり。たけもあり、心もめづらしく見ゆ」(後鳥羽院口伝)

・定家との関係
 同じ俊成門下だし、御子左流としてお互い切磋琢磨したのだろう。ライバルというより仲間・同志みたいな感じ。歌風は違うが仲はよかったのだろう。
 →定家が新勅撰集で家隆の歌を最多選出(43首)してるのはエライと思う。

・新古今集撰者の一人(源通具・藤原有家・藤原定家・藤原家隆・飛鳥井雅経・寂蓮)
 →新古今集1205頃 後鳥羽院があれこれ口出しし最終的には後鳥羽院撰とも言われる。

・若かりしころの初々しい歌
  さえわたる光を霜にまがへてや月にうつろふ白菊の花
  →爽やかな叙景歌である。

・後鳥羽院歌壇の中心人物として活躍。後鳥羽院とは親交を結ぶ。
 後鳥羽院は頑固で肌合いが合わない定家を疎んじるようになり、その分温厚篤実な家隆を重用。承久の乱で後鳥羽院が隠岐に流された後も家隆は後鳥羽院と音信し続ける。
 1236家隆は隠岐に後鳥羽院を訪ね「遠島御歌合」に参加。家隆が隠岐から京へ帰るにあたって後鳥羽院が航路安全を祈ったのが有名な下記歌であった(とする説もある)。

  われこそは新島守よ隠岐の海のあらき波かぜ心してふけ

  →政治的に距離を置かざるを得なかった定家と比較的自由だった家隆の違いだろうか。
  →定家は冷たかったけど家隆は暖かだった、、、これもイメージ操作か。

・家隆の代表歌とされる歌
  下紅葉かつ散る山の夕時雨ぬれてやひとり鹿の鳴くらむ
  明けばまた越ゆべき山のみねなれや空ゆく月の末の白雲(自讃歌)

・多作家として知られる。晩年まで歌を詠み続け六万首も詠んだ。
 「今伝はる所は十が一にも及ばず」(百人一首一夕話)
 →毎日10首で16年。シンドイでしょうね。

③98番歌 風そよぐならの小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける
・1229年 九条道家(91良経の息子)の娘竴子(そんし)が後堀河帝の女御として入内する際、婚礼調度として月次屏風に書く歌として詠まれた。

 屏風歌 当代を代表する歌人 月毎に3首、計36首
(36首内訳は道家5首 公経8首 実氏6首 定家7首 為家3首 家隆7首)

 →1229年に詠まれたということは百人一首中一番出来立てで新しい歌ではなかろうか。 

・風そよぐ 風がそよそよと音をさせて吹く
 →爽やか感が伝わってくる。

・ならの小川 上賀茂神社の御手洗川
 →先年源氏物語(第一回)完読記念旅行で訪れた。きれいな水の小川だった。

 上賀茂神社は災難を除く厄除けの神さま
 斎院が仕える所。葵祭りで有名

・みそぎ 夏越の祓い(六月祓い)
 →半年たまった罪や穢れを水をかぶって祓い落す。
 他に茅の輪くぐりやら人形流しやら。

・本歌とされる二首
 みそぎするならの小川の河風に祈りぞわたる下に絶えじと(八代女王 新古今集)
 夏山のならの葉そよぐ夕暮は今年も秋の心地こそすれ(源頼綱 後拾遺集)

・夏のしるしなりけり
 もう秋の気配だがみそぎをやってる所をみるとまだ夏なんだ、、、との歌。
 
 夏の確認の歌。やがて秋になる。秋の確認の歌は、
  秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(18藤原敏行)

・夏の歌は百人一首に4首
 2春過ぎて  36夏の夜は  81ほととぎす 98風そよぐ
 →一番少ない(春6首 秋16首 冬6首)

④源氏物語との関連
・賀茂神社に仕える未婚の皇女または女王が「斎院」
 朝顔の姫君が24才~32才(推定)8年間斎院を務める。
 →源氏の後妻になるチャンスがあったのに。女盛りを神さまに捧げた朝顔の姫君、お気の毒。

・葵祭り(賀茂祭)
 賀茂祭の前に斎院が御手洗川で禊をする(斎院御禊)。祭当日は宮中で奉納舞や飾馬のお披露目があり、斎院・勅使が賀茂神社(下鴨→上賀茂)へとパレード。

 パレードは見物人で大混雑。葵の上vs六条御息所 車争いが起こる。
 正妻葵の上側の勢いに愛人六条御息所側は対抗できずボロボロにされる。

 六条御息所の絶唱
  影をのみみたらし川のつれなきに身のうきほどぞいとど知らるる(葵5)
  →六条御息所が生霊となった瞬間である。

 (さわやかな98番歌なのに重っ苦しい引用でごめんなさい。藤原兼輔末裔の家隆卿、紫式部も遠い血筋であるには違いないでしょう。お許しを)

ログイン


ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失