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発行日時
2017/3/20 6:00
見出し
96番 承久の乱後の権門 西園寺公経 花さそふ
リンクURL
http://100.kuri3.net/archives/1624 96番 承久の乱後の権門 西園寺公経 花さそふへの外部リンク
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今につながる西園寺家の始祖とされる公経。承久の乱またぎで一歩抜け出し後鳥羽院失脚後、京朝廷での第一人者となる。豪奢を極めた西園寺(今の金閣寺の所)を建て権勢を誇った公経、どんな人だったのでしょう。

 91九条家の  良経 が   1169生まれ
 94飛鳥井流の 雅経 が   1170生まれ
 96西園寺家の 公経 が   1171生まれ

これって何なんでしょう。ややこしくてゴチャゴチャになりますねぇ。。

96.花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり

訳詩:     花を誘って庭一面に白く散らす無情の嵐よ
        この庭に白く積るものは 雪ではない
        雪ではない 降りゆくものは
        古りゆくものは
        わが齢のみ

作者:入道前太政大臣 藤原公経 1171-1244 74才 従一位太政大臣 西園寺家の始祖
出典:新勅撰集 雑一1052
詞書:「落花をよみ侍りける」

①西園寺公経
(藤原公経と言うと11世紀に居た人と混同するので西園寺と呼ぶのがいいらしい)
・父藤原実宗 - 閑院流
 藤原北家閑院流=師輔の子公季から始まる家流、道長時代は傍流であったが白河帝以降は天皇外祖父(外戚)の主流となる。
  実母が閑院流娘の天皇 白河帝 母茂子 外祖父公成
             鳥羽帝 母苡子 外祖父実季
             崇徳帝 母璋子 外祖父公実
             後白河 母璋子 外祖父公実
   →81後徳大寺実定の項、参照

・閑院流は三条家・西園寺家・徳大寺家に分れ五摂家に次ぐ家格の公家となっていく。
 西園寺家の始祖が96番歌の公経で西園寺公経と呼ばれる。
 最後の元老と呼ばれ二度総理大臣となる西園寺公望1849-1940は西園寺家第37代当主

・公経の姻戚閨閥関係、これがすごい。
 正妻=全子(源頼朝の同母妹坊門姫の娘、父は北家中御門流一条能保)
 →頼朝のかわいい姪。頼朝は婿のごとく公経を大事にしたのではないか。

 公経の娘倫子は91九条良経の子道家の妻となり頼経(鎌倉4代将軍)を生む。
 また倫子の娘竴子は後堀河帝の中宮となり四条帝の母となる。
 (外孫に4代将軍頼経と後堀河帝中宮竴子。ひ孫が四条帝)
 →これってすごい閨閥。公経が権勢を誇った理由が分かる。

・鎌倉幕府との結びつき
 頼朝の姪全子を妻に迎えたことから鎌倉幕府とは親密。親幕派。
 1219 実朝暗殺さる。4代将軍に外孫の頼経(2才)を送り込む。
 1221 承久の乱 後鳥羽院の乱の情報を事前に鎌倉に通報。乱鎮圧の功労者に。
 1222 太政大臣就任 また鎌倉との関係から関東申次に就任。
    以後10年ほど京朝廷の第一人者として君臨する。
 1231 病気により出家(出家後の様子はうかがい知れない)
 1244 没

・西園寺の名の由来は北山(今の金閣寺の所)に豪勢な西園寺を建立したことによる。
 西園寺の様子 増鏡より
  太政大臣そのかみ夢み給へることありて、源氏の中将(光源氏)わらはやみまじなひ給ひし、北山のほとりに、世に知らずゆゆしき御堂を建てて、名をば西園寺といふめり。
 西園寺に植えた桜を詠んで
  山ざくら峯にも尾にも植ゑおかむみぬ世の春を人や忍ぶと
 
  →源氏物語若紫の冒頭、源氏が10才の若紫を発見する場面が引かれている。

・公経の人物評価は毀誉褒貶相半ば。
 処世は卓越してたが閨閥を活かし幕府に追従したお陰で京での豪奢な生活は自己中心的。
 →世人のやっかみを受けるのはやむないか。でも西園寺邸はやり過ぎだったのでは。

②歌人としての西園寺公経
・多芸多才で和歌・琵琶・書に通じる風流貴公子であった。

・1200以降の数々の歌合に出詠
 新古今集に10首、新勅撰集(定家撰出)に30首他、勅撰集に114首

・定家との結びつき、、、すごい結びつき!
 公経の姉が定家の妻になり為家を生む。(定家は公経の義兄)
 公経は為家をかわいがり猶子としている。
 その為義の岳父(妻の父)が宇都宮頼綱。定家に百人一首色紙を所望した男。
 →公経は当然定家(御子左家)の大スポンサーとなっている。

 その定家が「明月記」の中で公経を「大相一人の任意、福原の平禅門に超過す」と評している。清盛を凌ぐ勢い、公経の権勢ぶりがよく分かる。

・公経の歌から、
 西園寺妙音堂に琵琶の道のことで祈りに行く際
  音絶えてむせぶ道には悩むとも埋れな果てそ雪の下水

・公経の歌人としての評価は高くなく、新勅撰集に30首を撰入したのも定家の個人的理由とされる。百人一首への撰入も定家との特別関係からであろう。
 →だって百人一首を頼んだのは宇都宮頼綱。猶子為家の妻の父。公経を入れない訳にはいかないでしょう。
 →百人一首90番台は人物撰でいい。承久の乱後京朝廷の太政大臣として鎌倉と政治を動かした公経が入っていることすごく重要だと思う。

③96番歌 花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり
・花さそう嵐 常套句ながら老いの嘆きに繋げているところが評価されている。
 権勢を極めた者が老いを迎えてこれだけはどうにもならないと嘆じた歌。

・ふりゆく 降りゆく&古りゆく

・本歌
 9花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に(小野小町)

・「花さそふ嵐」の先行歌
  花さそふ嵐や峰をわたるらん桜波よる谷川の水(金葉集)

・定家の先行歌
  春をへてみゆきになるる花のかげふりゆく身をもあはれとや思ふ(拾遺愚草)

・逆の発想の歌(桜の花よ沢山散って老いの道を隠して欲しい)
 基経40の賀での業平の歌(伊勢物語97段)
  さくら花散りかひ曇れ老いらくの来むといふなる道まがふがに(古今集)

・90番台は91冬に近い秋、94秋、98が夏。一首は春の歌が欲しい。それも桜の歌。

 桜の歌は百人一首に6首(9花のいろは・33久方の・61いにしへの・66もろともに・73高砂の・96花さそう)。
 →「9花のいろは」で始まり「96花さそふ」で春の桜を締めくくる。何とも粋な計らいではなかろうか。

④源氏物語との関連
 さっぱり思いつきませんでした。
・春の嵐は源氏が須磨から明石に移るきっかけ手段として出てきました。
 
・老いを嘆く歌、源氏物語から探してみましたが見当たりませんでした。
 (34番歌の所で老いを嘆く歌に触れてますのでご参照ください)

 96番歌の歌意としては若菜下源氏が老いゆく自分を嘆き、若き柏木の過ちをいびる場面での源氏の気持ちかとも思うが、若菜下の場面は初春前の師走。歎きの度合いもちょっと違う気がします。

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